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函館家庭裁判所 昭和60年(少)01919号 決定

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は

第1昭和60年9月4日午後4時30分ころ、函館市○○町×丁目×番×号付近の道路において、原動機付き自転車を運転したが、そのとき公安委員会の運転免許を受けていながら、運転免許証を携帯しなかつた

第2同月7日午後9時40分ころ、同市○×町×丁目×番×号付近の道路において、原動機付き自転車を運転したが、そのとき公安委員会の運転免許を受けていながら運転免許証を携帯しなかつた

第3同年10月4日午後10時31分ころ、原動機付き自転車を運転し、道路標識により一時停止すべきことが指定されている同市○×町×丁目×番×号付近の交通整理が行われていない交差点に進入するに際して、一時停止をしなかつた

第4同日午後10時32分ころ、同市○×町×丁目×番×号付近の道路において、政令で定める乗車人員の制限を超える2名を乗車させて原動機付き自転車を運転した

第5同日午後10時35分ころ、同市○×町×丁目×番×号付近の道路において、原動機付き自転車を運転したが、そのとき公安委員会の運転免許を受けていながら運転免許証を携帯しなかつた

第6同年11月8日午後10時ころ、同市○×町×丁目×番×号付近の道路において、原動機付き自転車を運転したが、そのとき公安委員会の運転免許を受けていながら運転免許証を携帯しなかつた

第7Aら多数の者と共謀の上、共同して多数の自動二輪車などを連ねて走行させ、又は並進させ、交差点の信号機の赤色灯火信号を無視して通行するなどのいわゆる暴走行為を敢行しようと企て、Aら約15名の者において、昭和61年8月18日午後10時40分ころから同日午後11時30分ころまでの間、自動二輪車約15台を各運転し、同市○×町×丁目×番×号付近道路から国道278号線などを経て同市○△町に至り、更に同町から国道5号線、道々函館上磯線(通称産業道路)などを経て同市△×町×丁目×番×号付近道路に至る約23.8キロメートルの道路を前記車両を連ねて走行し、又は並進し、この間信号機による交通整理の行われている同市○△町×番×号先の交差点、同市△△町×番×号先の交差点において、信号機の赤色灯火信号を無視して通行するなどして、折から青色灯火信号に従つて通行しようとしていたB運転の普通乗用自動車などの進行を妨害するなどし、もつて共同して著しく道路における交通の危険を生じさせるとともに、著しく他人に迷惑を及ぼす行為をした

第8公安委員会の運転免許を受けないで、同年9月22日午後0時5分ころ、同市×△町×番×号付近道路において、自動二輪車を運転したものである。

(法令の適用)

第1、第2、第5及び第6につき 道路交通法121条1項10号、95条1項

第3につき 同法119条1項2号、43条、4条1項、同法施行令1条の2第1項

第4につき 同法120条1項10号の2、57条1項、同法施行令23条1号

第7につき 刑法60条、道路交通法118条1項3号の2、68条

第8につき 同法118条1項1号、64条

(処遇の理由)

少年は、小学校6年生のとき万引きの初発非行があり、中学2年生のとき再び万引きをしたほか、このころから喫煙や不良交遊が始まり、また、中学3年生のとき原動機付き自転車の無免許運転をして補導され(この件は、保護的措置を加えられた上、不処分となつた。)、このころから飲酒が始まつた。少年は、昭和60年3月、中学を卒業し、同年4月、塗装工として就職するとともに、定時制高校に進学したが、1か月も持たずに仕事を辞め、高校も僅か3か月で中退してしまい、それ以後、飲食店従業員などとして何回か稼働したものの、いずれも長続きせず、徒食することが多かつた。その一方で、少年は、昭和60年5月、原動機付き自転車の運転免許を取得し、同年8月、原動機付き自転車を購入するや、これを運転して遊び廻るようになり、同年9月から同年11月にかけて6回も道路交通法違反で補導され(本件非行第1ないし第6)、昭和61年になると、夜遊びが目立ち始め、同年2月ころには、パーソナル無線で知合つた友人を通じていわゆる暴走族のグループである○×(このグループは暴力団と極めて深い関係にある。)に加入し、同年4月ころから、運転免許を受けていないにも拘らず、自動二輪車を乗り廻すようになつたほか、そのころから同年5月にかけて、恐喝未遂、2件の道路交通法違反、暴力行為等処罰に関する法律違反、強盗致傷の前件各非行を犯し、観護措置を取られた上、同年7月2日、当庁において、保護観察に付された。その後、少年は、○×を脱退し、友人の父親の世話で貨物船の船員として稼働することになつたものの、僅か1航海で嫌気がさして辞めてしまい、同年8月初め、函館市に戻ると、中学時代の友人ら(彼らは、○○という暴走族のグループを結成していた。)と再会して交遊するようになり、誘われるままに本件非行第7(いわゆる共同危険行為)に及んだほか、同年9月22日、本件非行第8を犯した(なお、少年は、保護観察に付された後も、自動二輪車の無免許運転を繰り返していた。)ものである。

このような少年の生活歴及び非行歴、本件各非行に至る経緯に加えて、本件非行第7は、函館市内の3つの暴走族のグループが結集した上、自動二輪車約15台を(その大部分が、ハンドルやマフラーを改造したものである。)連ねけたたましい爆音をたてながら函館市内の道路を約23.8キロメートルにわたつて走行し、その間、交差点ではことごとく赤色灯火信号を無視して走行するなどの暴走行為を敢行したものであるが、これは極めて危険性の高い、また、著しく他人に迷惑を及ぼす行動であつて、社会的に容認できない悪質な行為といわざるをえないこと、少年は、本件非行第7について、共犯少年の運転する自動二輪車の後部座席に同乗しただけで、自ら運転したわけではないとはいえ、保護観察に付されたばかりであるのに、ほとんど抵抗を感じることなく極めて安易に非行に加わつていること、少年は、遊興本位の生活態度がすつかり身に付いてしまい、不良交遊にのめり込んでの気ままな生活に執着しているほか、社会規範の内面化が希薄であることなどの事情を勘案すると少年の非行性は相当に深化しているものと認められる。

ところで、母親は少年を引取つて監護・指導する旨を強く希望し、父親もその旨を望むのであるが、両親は、少年が中学3年生のとき離婚し、それ以後、母親が親権者となつて少年を養育してきたところ、母親は病弱である上、これまでの放任がちの監護態度に徴すると、そもそもその監護能力に疑問があり、父親が少年の更生のためできる限りの努力をする旨誓つていることを参酌しても、母親において少年に対する充分かつ適切な監護は期待しがたく、このような保護環境の現況をも併せ考慮すると、少年の要保護性は高く、少年をこのまま放置すれば、再び非行に陥る危険性が極めて大きく、その非行性を矯正するためには在宅保護の方法において成果を期待することは困難と認められる。

そうすると、この際、少年を中等少年院に収容して、施設内における集中的・専門的な矯正教育を施す必要があると認められる。

よつて、少年を中等少年院に送致することとし、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して、主文のとおり決定する。

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